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徳川VS武田による遠州のへその取り合い

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徳川VS武田による遠州のへその取り合い

【高天神城略年表】

1596

家康の家臣小笠原長忠、高天神城を守備。

 

1571.3

信玄、内藤昌豊に攻城させるも敗退。

 

1574.12

勝頼、遠江に侵攻し、高天神城を包囲。

 

1574.6

高天神城落城。

 

1578.3

家康、高天神城攻略の拠点・横須賀城を築城。

 

1580.10

家康、小笠山、中村城山などの六砦を築き、高天神城を包囲。

また、城外の稲を刈り、兵糧攻めを敢行。

 

1581.3.22

家康、高天神城を攻め落とす。

 

遠州掛川の南方約八キロの地にある高天神城は、東、南、北が断崖絶壁、西は険阻な尾根につづく天険の要害であり、軍事戦略上の要衝で、徳川・武田双方にとって抑えておきたい重要拠点であった。

 

家康は兵力による力攻めより兵糧攻めでこの高天神城を落とすこととし、天正八年八月から城の周囲に堀を掘り、土塁を築き、柵をまわし、一間(約1.8m)ごとに兵を1名置くという厳重な攻囲体制を敷き、孤立無援の状態に陥らせた。

高天神城の守備兵、城将岡部元信、軍監横田尹松以下1000名は、勝頼からの援軍を期待していたが、北条氏政・織田信長と敵対していた時期で、高天神城まで兵を出すことなど不可能なことであった。

天正九年(1581)正月を迎えた頃、勝頼の援軍を諦めた岡部元信らが、矢文で「降伏したい」と家康方に申し出たが、家康は、その申し出を認めず、三月二十二日、城兵は一斉に討って出て、岡部元信以下730余名討死という壮絶な結果、高天神城は落城した。