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浜松八幡宮

浜松八幡宮

徳川家康は、浜松城の鬼門に位置するこの八幡宮を

鬼門鎮護・開運招福・武運長久の神として篤く信仰し、度々参拝したようです。

祭神

玉依比売命(たまよりひめのみこと)

品陀和気命(ほむだわけのみこと)・・・応神天皇

息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)・・・神功皇后

 

相殿神

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)

伊弉冉尊(いざなみのみこと)

仁徳天皇の御代、遠津淡海の鎮静のため、海運の神として知られる玉依比売命をお祀りしたと伝わり、

平安時代の神社を所載した延喜式には許部神社と記されています。

当時は許部の里(南区小沢渡町付近)にお祀りされておりましたが、

天慶元年(938)、神託によって現在の地へと遷座されたと伝えられ、

永承6年(1051)には源義家公(八幡太郎)により八幡二柱の神が勧請され、

多くの武家庶民の崇敬を集めたようです。

 

浜松八幡宮公式HPより引用

http://www.hamamatsuhachimangu.org/

 

摂社 東照宮

主祭神

徳川家康

正徳四年(1714年)に勧請し奉斎。

 

末社 浜松稲荷神社

御祭神

倉稲魂命 (うかのみやまのみこと)

大己貴命 (おおなむちのみこと)

大田命 (おおたのみこと)

大宮比賣命 (おおみやひめのみこと)

月夜見命 (つきよみのみこと)

雲立楠

雲立楠

この伝説も1573年にあった三方原の戦いの徳川家康敗走伝説の一つです。

浜松八幡宮社殿の前に聳える『雲立楠』は樹齢1000年を超える楠の巨樹で、根回り約15m。

枝張り四方約25m、樹高約15m、幹の下部には大きな空洞があります。

武田軍の追手から逃れるため、この八幡様の境内に逃げ込み、

この楠の大きな空洞に隠れ、難を逃れたと。

この楠は家康が隠れた時、雲が立ち上がったので「雲立の楠」と呼ばれるようになったとか。

また、空洞の中で家康公が一心に八幡神を拝すると、楠より瑞雲が立ち昇り、

神霊が白馬に跨った老翁の姿となって浜松城へと公を導いたから、

「雲立の楠」と呼ばれるようになったとか。

この空洞に白馬と共に隠れると馬の白い尾だけが外に出ていたのを村人が気付き、

尾を隠した恩により、後にこの村人に白尾の姓が与えられたとか。

徳川VS武田による遠州のへその取り合い

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徳川VS武田による遠州のへその取り合い

【高天神城略年表】

1596

家康の家臣小笠原長忠、高天神城を守備。

 

1571.3

信玄、内藤昌豊に攻城させるも敗退。

 

1574.12

勝頼、遠江に侵攻し、高天神城を包囲。

 

1574.6

高天神城落城。

 

1578.3

家康、高天神城攻略の拠点・横須賀城を築城。

 

1580.10

家康、小笠山、中村城山などの六砦を築き、高天神城を包囲。

また、城外の稲を刈り、兵糧攻めを敢行。

 

1581.3.22

家康、高天神城を攻め落とす。

 

遠州掛川の南方約八キロの地にある高天神城は、東、南、北が断崖絶壁、西は険阻な尾根につづく天険の要害であり、軍事戦略上の要衝で、徳川・武田双方にとって抑えておきたい重要拠点であった。

 

家康は兵力による力攻めより兵糧攻めでこの高天神城を落とすこととし、天正八年八月から城の周囲に堀を掘り、土塁を築き、柵をまわし、一間(約1.8m)ごとに兵を1名置くという厳重な攻囲体制を敷き、孤立無援の状態に陥らせた。

高天神城の守備兵、城将岡部元信、軍監横田尹松以下1000名は、勝頼からの援軍を期待していたが、北条氏政・織田信長と敵対していた時期で、高天神城まで兵を出すことなど不可能なことであった。

天正九年(1581)正月を迎えた頃、勝頼の援軍を諦めた岡部元信らが、矢文で「降伏したい」と家康方に申し出たが、家康は、その申し出を認めず、三月二十二日、城兵は一斉に討って出て、岡部元信以下730余名討死という壮絶な結果、高天神城は落城した。